高校3年間から1浪までは、真剣に「絵がうまくなりたい」と端から見れば無駄な努力を重ねてきましたが、周りも自分も「受験に合格しやすい」テクニックとか、「うわさ」の域を出ない妙なジンクスばかりに振り回され、心にまったく余裕がありませんでした。
1浪時代<1991>時の鉛筆デッサン。 この当時にしては比較的、上手く描けた方。
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当時の美大受験は特に、デッサンや画面の構成力が重視され、
アイデアや、
感性」なんてのは軽視されていたように感じられました。仮にそういったものが評価されたとしても、「表現したいこと」が実力不足で表現できれない、もどかしさがありました。
今にして思えば、正確さが求められる石膏デッサンは「面倒くさくて嫌い」、単体モチーフは良いけれど、複数のモチーフになると、描く時間配分が下手で、質感の描き分け(特にガラス類)や奥行きの描き込みが苦手で、いつも細かい描き込みが出来ず、
「全体的に絵の感性度が低い」ってだけの話なんですが。
このおたまの絵にしても、質感や描き込みは出来ても、中心の軸がずれてるので、柄がねじれて見えることに、当時はまだ気づいていなかった
目覚まし時計と石柱(実は型抜きコンクリート)
これも1浪の終わり(いよいよ受験シーズンも差し迫った)頃の絵1991
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焦れば焦るほど絵は上手くならず、いつも制限時間内に感性出来ず、さんざんなありさまでした。あの頃はいつも劣等感に苛まれ、畏縮していました。1浪しても思うようには技術(デッサン・構成力)は上がらず、美大という美大は全落ち。もはや2浪する気もなかったので、都会の服飾系専門学校に入学しました。
専門学校ではセンスはともかくとして、
私の絵や
課題作品も評価されることもあり、徐々に自信が回復してきた頃のことです。
ある日、学校の課題で静物画を描いていたところ、これまでは「細部」を描ききれなかったのに、その日に限ってスイスイと筆が進むのです。
「あ、なんだ〜やれば出来るじゃん!」と、心が軽くなった瞬間でした。その瞬間がまさに、描きたい絵をを描けるようになった瞬間です。
鉄砲百合(1996年)B3木版パネル・画用紙・鉛筆
通信制の美術短大に入学した年の、スクーリング直前に描いた課題。この頃には「自分の描きたい絵」がわりと素直に描けるようになってきましたね。
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